野村の歴史

1.野村地区の歴史概要
 野村地区は、地政学的に、東は西町・若山町、西は布気町、南は和賀町、北は羽若町に接しており、その中に鈴鹿川、竜川、椋川が流れ、これらの川に挟まれた河岸段丘(海抜50~70m、強固な地盤)の上に街を形成しています。
 その街の歴史は古く、野村遺跡や忍山遺跡の発掘調査で縄文時代まで遡り、その後の調査で古代の奈良・平安、中世の鎌倉・室町から近世の江戸を経て現代まで、ほぼ間断なく人々の生活が営まれていることが分かり、まさに自然災害の少ない安住の地と言えます。
 旧東海道が、野村地内の中心を東西に縦断しており、古くから多くの人の交流がありました。 広重の傑作、東海道五十三次亀山「雪晴れ」は、亀山を象徴する浮世絵ですが、ここに描かれているのは、参勤交代の行列が、前泊の関本陣を暗い内に出立し、野村の街並みを抜け、竜川を渡り急坂を登って、雪晴れの朝日に照らされた亀山城京口門に入場している様を描いています。

 


 野村忍山(おしやま)神社は、皇女(こうじょ)倭(やまと)姫(ひめの)命(みこと)が父垂(すい)仁(にん)天皇(第11代)の命を受け、天照皇大神を祀るに適した土地を探す途中、半年間滞在された「鈴鹿(すずか)小山宮(おやまのみや)」の跡地に、祀られて神社が始まったと伝えられています。 この地は、押田山(おしだやま)(現在の愛宕山、野村1丁目)で、その後この山を「カミヤマ」と呼んだことが転じて、亀山の地名となった説があります。 また、忍山神社には、古代全国を平定したとされる日本武尊(やまとたけるのみこと)のお妃、弟(おと)橘(たちばな)姫(ひめの)命(みこと)の生誕地との伝承があり、平成29年には鎮座2,100年祭を迎えます。
 この他、野村一里塚(国史跡)、慈恩寺阿弥陀如来立像(国重要文化財)、秀吉亀山城攻め本陣跡、宗英寺イチョウ(県天然記念物)など多くの文化財・旧跡があります。
 このように、野村地区は、神代の時代から、古い歴史文化や遺産を持った、由緒ある土地と言えます。 是非ご探訪下さい。