忍山神社

忍山神社の歴史(左記をタップする。)

 ヤマトヒメが垂仁天皇の命を受け、神をまつるのに適した地を探す途中、半年滞在した地に鎮座された神社と伝えられます。もとは、押田山(野村町愛宕山)に所在し、この山を「カミヤマ」と呼んだことが転化して亀山の地名となったとの説があります。ヤマトタケルの妃であるオトタチバナヒメの出身地とされています。

1.主祭神

  ・猿田彦命

  ・天照皇大神

  ・合祀祭神24柱(愛宕神社祭神、火産霊之神を含む)

2.延喜式内社

  醍醐天皇延喜5年(905年)勅命により延喜式を撰修された。その中の神名帳に登録され た神社 が式内社である。忍山神社はその中の一社であり、当時以前から存在した2000年 以上の古い歴史 (神話)を有する由緒ある神社である。

3.由緒

-1. 忍山神社は、崇神天皇7年(紀元前91年)9月7日、御代に勅命をもって、伊香我色   雄命に猿田彦命を鎮座せしめられた。伊香我色雄命の子、大水口宿祢の子孫、忍山宿祢と   相次いで(80代)神主となり明治年代に至る。

-2. 垂仁天皇(第11代天皇)14年(紀元前16年)9月皇女倭姫命が御杖代となり、奈良笠縫   邑より天照皇大神の鎮座の地を求めて、忍山の地に御遷幸され、半年御鎮座された。その   跡をかしこんで(天照皇)大神を奉祀した。

-3. 景行天皇(第12代天皇)御代に王子日本武尊は東征に際し、忍山神社に立ち寄られ、   神主忍山宿禰の長女、弟橘媛を妃とされた。又媛は御東征に従われ相模(走水)の海が海   神の怒りで荒れた為、入水してその怒りを鎮められた事は、美談として伝承されている。   又、弟橘媛の妹 弟財部媛は成務天皇(第13代天皇)の妃となられた。

-4. 明治天皇41年、村社能牟良神社ほか近隣の20社を合祀し、大正天皇6年10月7日   鎮座2000年祭が執り行われ、現在にいたっている。

4.傘鉾(昭和27年亀山市無形文化財指定)

  忍山神社合祀祭神の一座である須佐之男命の荒魂をなぐさめるため、古くから行われた神事 の一つである。毎年原則10月14日の大祭には傘鉾の巡行が行われる。