慈恩寺

・木像 阿弥陀如来立像(国重要文化財)
縁起によると聖武天皇の神亀5年(728)行基が勅願によって薬師寺を創建し、一刀三礼薬師如来を彫んで安置したとあるが、それが、現在の阿弥陀仏かどうかは定かでない。現在の慈恩寺の本尊阿弥陀佛は桧材の一木彫像で高さ163センチ、所々漆箔の痕を残している。頭髪は螺髪で植付、眼は木製で大きく、面貌は魁偉の中に慈愛あふれる。9世紀始め即ち貞観彫刻の代表作である。胸、腹両腿部の肉付は厚く、力強く、やや反り身に直立して重々しく而も人の心に食い入るような迫力を蔵し見るからに強烈な印象を与える雄偉な全姿、女波男波をたたむように刻み込んだ翻波式衣紋や袖端に見られる渦紋、これらは平安初期一木彫像の造形様式を顕著に示し、この佛像の佛教美術史上に占める重要さを雄弁に物語っている。
この阿弥陀如来は、もと忍山神宮寺の本尊薬師如来であったと考えられ後世補修の際両手首から先を阿弥陀印としたものと思われる。全般に鈍重感があり一種の地方作と認められる。



・近藤鐸山墓(市史跡)
鐸山は幕末の亀山藩士で、五代の藩主に仕え、前後30年余藩老の重職を勤め、勤皇の志を一貫し、よく藩論を指導して順逆を誤らしめなかった。
墓碑は、台石三重で99センチ、碑の高さ100センチ、表面に“近藤幸殖、近藤捨子墓”左側に“幸殖明治二十三年八月三十日歿、年七十七、室捨子九月四日歿、年七十五、男近藤幸止建之”とある。
なお、明治39年11月亀山神社境内に幸殖碑が建設され、大正4年正五位を追贈された。


・堀池衡山(市史跡)
 衡山は幼少の頃から数学を好み、長じて江戸に出で当時名声の高かった和算家関藍水の門に入り、業成って亀山に帰り明倫社で子弟を教えながらも研究を積んだので、遂に未発見の妙理を明らかにして、天文暦数の大権威由良時諶と並んで伊勢亀山藩の双璧といわれた。弘化2年(1845)8月天寿を全うして死んだので野村慈恩寺に葬った。
碑は高さ105センチ、巾30センチで正面に“堀池周空墓”左側に“敬久軒廓晴月顕居士弘化二乙巳年八月二十四日”右側に門人原正立の碑文がある。銘に“数於六芸与書左右道亘古今名兀不朽”著書が数百巻あったが現在一冊も見当たらないのは遺憾である。