照光寺

・赤堀水之助墓(市史跡)
関平は幕末の亀山藩士、鹿島新当流第93代の家元であった。文政4年(1821)42歳の時亀山を出て武者修行すること6年、鹿島神宮に参拝して、鹿島新当流の吉川大膳の門に入り刻苦修行すること3年、遂にその奥儀をきわめ、唯一皆伝を受けて郷里に帰り、藩主総佐公をはじめ家中一同にこれを教えた。嘉永3年(1850)74歳で病没した。



・山木善太墓(市史跡)
 善太はもと阿波の人、名は積善、石川総安に召抱えられて儒臣となった。津藩の斎藤拙堂の親友であり、頼山陽とも親交があった。天保8年(1837)7月8日病んで死んだので野村照光寺に葬った。その墓誌は拙堂が撰したものである。なお、養子山木一学も総禄に仕え、明倫社の教頭に補せられた硯儒である。



・谷口一族に関する歴史資料
 題目塔
 涅槃図